最近、お仕事で京都に行かせてもらっています。
大阪と京都で遠く無いのですが、昔からお仕事以外で京都に行く事がそんなに多くなくて、
逆に、お仕事で行く事が多くて、なので、京都に来るとどうしても仕事のイメージをもってしまいます。
京都も本当に外人の方が多く、道ですれ違う人の半数以上は外人なのではないかと思うくらいです。
京都に限らずですが、そんな観光地に訪れる度に、「観光地」というものを考えてしまいます。
元々観光地になる街は独自の魅力が秀でていたり、特殊な文化がある土地だったりと思うのですが、
昔と違って、どこにいてもおいしいお蕎麦や、パスタやナンなどを食べれて
行ったことが無いけど見たことのある景色がたくさんあり
行ったことの無い土地の店や人柄まで調べられる世の中になると
観光地が観光地であるために「観光地らしさ」の設定を無理して保っているように見えてしまう事があり
独自の魅力というよりも、むしろ他者からの「観光地らしさ」という幻想の上にできあがった街に感じる事があります。
それが悪い事とは思わないですが、
例えば、インターネットやTVの無い時代に訪れた京都などは、今と比べ物にならないくらい刺激的だったのだろうと考える時があり、
そんな時代の「旅」というものに憧れたりしてしまいます。
坂本